Made in Japanの心に触れる旅~第5回・お正月スペシャル 世界遺産/国宝・「法隆寺」斑鳩町(いかるが)・奈良~聖徳太子の建てた「宮大工」の技の寺院 World Heritage Site, National Tresure”,Horyuji
西院伽藍の金堂と五重塔(国宝)。法隆寺は、世界最古の木造建築として、
1993年に日本で初めて世界遺産登録されました。
The main hall and five-storied pagoda of West temple buildings(national treasure).
Horyuji Temple is the oldest wooden building in the world.
In 1993, it was the first place in Japan to be registered as a World Heritage Site.
約18万7千㎡もの広い境内は西院・東院と二つの伽藍に分かれており、西院には金堂・五重塔、東院には夢殿・聖霊院などが建てられています。
建物内部には数多くの仏像類が安置され、国宝・重要文化財に指定の建物や宝物類は、合計約190件。その数2300点以上。
<1.世界最古の木造建築~聖徳太子の寺院>
法隆寺は今から1400年以上昔、飛鳥時代に用明天皇が自らの病気平癒を祈って寺の建立を発願、その後、聖徳太子(しょうとく・たいし)が607年に斑鳩(いかるが)の地に完成させた寺院です。金堂に設置されている本尊は、釈迦三尊像で、聖徳太子を模した仏像と言われています。
斑鳩(いかるが)は、かつて、イカルという鳥が群生していたことからつけられた地名。イカルが聖徳太子にこの地の素晴らしさを教えたという伝説があります。
旧一万円札のデザインにもなった聖徳太子は、飛鳥時代の皇族で政治家。摂政(せっしょう=君主制国家において、幼帝・女帝に代わってすべての政務を行う)職で、名前は、厩戸皇子(うまやどのおうじ=宮中の馬小屋の前で生まれたことが由来)。没後に聖徳太子と呼ばれるようになりました。
旧一万円のデザインとなった聖徳太子(お札は、昭和33年~昭和61年)
Prince Shotoku, the design of the old 10,000 yen (the banknote dates from 1958 to 1986)
聖徳太子の実績で有名なのが、冠位十二階の制定や「和を以て貴しとなす」の序文で始まる十七条憲法の他に、仏教を中心に国を治めるという考えの「仏法興隆(ぶっぽうこうりゅう)」がありました。その拠点になったのが「法隆寺」です。日本の仏教の象徴として、人々に敬われ、愛されたお寺が法隆寺なのです。
法隆寺という名は、「仏教を広めて盛んにしていく」という名前だったのです。
The name Horyuji Temple was chosen to convey the meaning of "spreading and promoting Buddhism."
使者を中国に遣隋使(けんずいし)として派遣した聖徳太子は、外交上の功績もあります。
遣隋使の小野妹子から隋の皇帝にあてた国書「日出る処の天子(日本の天皇)、書を、日没する処の天子(隋の皇帝)に致す。恙なきや(ご機嫌いかがでしょうか)」で始まる書は、あまりにも有名です。
「日没する」のくだりで、隋の皇帝がこの文を読んで激怒したと伝えられていますが、「天子」が対等になっているところに怒ったのではないかという説もあります。
歴史家によると、聖徳太子は、当時、朝鮮半島の高句麗と戦争状態にあった隋(中国)に、「日本と隋が国交を結ぶことが隋にとっても、戦略的に重要になる」という政治上の読みから隋の皇帝に対等の独立国として送った外交文書だと考えられています。
607年に建立された法隆寺の初代伽藍は一度全焼し、700年頃に再建されたので、今の法隆寺は二代目。それでも現存する世界最古の木造建築群というのだから驚きです。
世界には、古い建造物は4000年以上前からあるピラミッドや、2000年程前に造られたコロッセオなどがありますが、すべて石造り。
木造となると法隆寺が最古です。それは、木造の建物には定期的なメンテナンスが不可欠で、木は腐ったり、白蟻に食われたりと損傷を受け易いので、1300年もの時を経て残っている
法隆寺の木造建築は、奇跡というしかありません。
法隆寺の回廊の柱をよく見ると、何か所も修復の跡があることに気付きます。
修復が必要な箇所のみを削って、同じ大きさに切った木材をはめ込む
「埋め木(うめぎ)という繊細で難しい宮大工の神業です。
Looking at the pillars of the corridor of Horyuji Temple, you will notice that there are traces of restoration in several places.
Cut only the areas that need repair and fit in pieces of wood cut to the same size.
This is the extremely delicate and difficult work of a temple carpenter.
飛鳥時代のオリジナルの回廊。柱の中央部が膨らんでいるエンタシス様式で、
見た目の安定感が得られるデザイン。古代ギリシアのパルテノン神殿の流れをくむと言われ、日本では法隆寺より後の建物にこの様式は見られません。
よく見ると内側に反って回廊の柱と梁が組まれています。
The original wooden corridor from the Asuka period. This design has an “Entasis” style pillars in which the central part of the pillar bulges out, giving it a sense of stability of the architecture design. It is said to be influenced from “the Parthenon” in ancient Greece, and transformed to a later building than Horyuji in Japan. This style is not seen in after. If you look closely for the structure of the corridor, you can see that the pillars and beams of the corridor are curved inward.
ギリシアのパルテノン神殿のエンタシス様式は、上に行くほど細くなっていますが、下は細くなっていないので、法隆寺の柱のエンタシスのように上下が細くなっているエンタシス様式が進化形と考えられています。エンタシスの柱は、上下からの荷重が柱の中央付近にかかる為、「構造上の力学から生まれた機能美」と言えます。
<2.神社建築と寺院建築の違い>
日本人でもわかりづらい神社と寺院の違いを建築の違いから見てみましょう。
神社は、日本古来のアニミズムから派生した神道を祭る社で、自然の神々を祭る神の社(やしろ)です。
神社では、入口に「鳥居」があり、くぐった先の参道の脇に身を清める「手水舎」が設置され、さらに進んだ奥に神様が祀られている「本殿」があるのが一般的。お寺と比べると建物の種類は少なく、シンプルな構造です。
一方、寺院は、印度(インド)のゴーダマ・シッタルダ(釈迦)が起こし、中国などの大陸経由で日本に伝わった仏教の仏を祭る社です。
寺院は、一般的に入口に「山門」があり、仏陀の骨を心柱の下に埋めて、仏陀を表す「塔」
-インドの「ストゥーパ」が卒塔婆と訳されたのが省略されたので、「塔」と呼ばれるようになりました-仏陀の象徴の仏像を安置する「金堂」などを内部に配置する造りになっているのが特徴。こうした仏像などの礼拝の対象となるものを祀る場所の全体を大きく「伽藍(がらん)」呼び、僧侶の住む「僧房」とに分かれます。
<3.法隆寺の建築と斑鳩の地>
それでは、最も古い木造建築とされる「法隆寺」の建築について詳しく見てみましょう。
寺院の仏陀を表す「塔」と仏像を安置する「金堂」などを内部に配置する場所が「伽藍(がらん)」といいます。法隆寺が凄いのは、薬師寺のように一棟(東塔以外は、再建)だけではなく、伽藍として、セットで残っている木造建築というところだと専門家は言います。
法隆寺の伽藍配置は、金堂と塔が並んでいる独特の美しい伽藍配置。真ん中は中門。
The layout of the temple buildings at Horyuji Temple is unique and beautiful, with the main hall and towers lined up side by side. In the middle is the inner gate.
古代飛鳥の伽藍配置は、「飛鳥寺」のように塔が中心で金堂が取り囲むような形でした。
「法隆寺」のような塔と金堂が並列のような伽藍配置を経て、金堂(仏像)が中心の配置に移行します。「薬師寺」は、金堂の前に西塔、東塔の二塔が並ぶ配置です。
奈良・薬師寺-680年に天武天皇が皇后の病気平癒の為に作ることを発願。
710年平城京への遷都に伴い移転-金堂の南に東塔と西塔が配置。
仏像が設置されている金堂が伽藍配置の中心の伽藍配置。
Yakushiji Temple, Nara - Emperor Tenmu vowed to have this built in 680 to pray for the recovery of his empress from illness. It was moved when the capital was moved to Heijo-kyo in 710 - The eastern and western towers are located to the south of the main hall.
The main hall, where the Buddha statue is housed, is the center of the temple complex.
創建当時から残っているのは、東塔(写真左)のみ。金堂(写真中央)と西塔(写真右)は東塔をばらして飛鳥の宮大工の技を学んだ昭和の宮大工による再建。
落ち着いた色合いの現存の東塔に対し、再建の西塔は「青丹 (緑と朱色)」で鮮やか。青 (緑色) の連子窓(れんじまど)が華やか。元々東塔にも連子窓はあったようですが、修復で白壁にされています。
さて、法隆寺の西院伽藍は、周りの土地よりも高地にあります。実は、山の尾根を削ってつくられた固い地盤の上に建てられています。
それより以南だと、大和川の川から運ばれた柔らかい扇状地を含む砂地なので、重い瓦を持つ大きな屋根の大きな数階建ての高層建築は建てられないのです。実は、1300年の間、
地震や水害などから法隆寺が守られたのはこの固い地盤のお蔭でした。
また、斑鳩(いかるが)の地は、難波(なにわ=かつての大阪湾の玄関口)から北の生駒山地と南の金剛山地の切れ目を通る大和川(やまとがわ)を通って、奈良盆地に入り、飛鳥の都に行く際に多くの人々が必ず通る交通の要衝でした。
人の流れも考えて建てられた立地のお蔭で、法隆寺は、長い間、人々に親しまれてきたので大事に扱われ、江戸時代や昭和時代に宮大工の修復を受け、人の手によって守られてきたという面もあります。
かつて、隋(中国)の使節が日本にやってきたとき、難波から船で大和川を通って飛鳥に行く途中に、斑鳩の地で法隆寺を見たと考えられます。法隆寺が当時の日本文化の高さや日本が国際的に認められる役割を果たしたと言われています。国政だけでなく、外交にも長けた聖徳太子の面目躍如というところでしょうか。
<4.法隆寺の仏像・金堂と中門の金剛力士像>
金堂の本尊である釈迦三尊像(鋳造銅製)The main
Statue of the Budda the main hall, the Shaka Triad (made of cast copper)
法隆寺の本尊の釈迦三尊像について、見てみましょう。釈迦三尊像は、聖徳太子が病気になったときに病気治癒の為に作られた仏像です。
飛鳥時代の仏像の特徴として、アーモンド型の目や、唇の両端が少し上向きで微笑を浮かべたような古代ギリシアのアルカイク彫刻の口もとに見られるアルカイック・スマイルと呼ばれる表情をしています。
アルカイック・スマイルは、単に口元に微笑みを浮かべるだけでなく、見る人に幸福感や生命力を感じさせるために作られたと考えられています。アルカイクは、ギリシア語の「古風な」という意味。日本では、広隆寺の弥勒菩薩、海外では、レオナルドダヴィンチ作の「モナリザ」も代表的なアルカイック・スマイルの芸術作品と称されています。
中央の釈迦像は、聖徳太子の等身大の大きさに作られたことが、背面の碑文に
記されています。この像が立つ高さの約175cmが、聖徳太子の身長と想像されますので、当時としては、かなり高身長だったと思われます。
聖徳太子が建てた法隆寺の本尊が聖徳太子自身になっているのは、607年に建てられた法隆寺(若草伽藍跡として塔の礎石が残っています)が火災の為消失。(出土した瓦の焼け跡から火災と考えられています)現在の法隆寺が700年頃に再建されたお寺であるからと考えられています。
釈迦三尊像が安置されている法隆寺金堂。西院伽藍で最古の建築で、軒の深いバランスの取れた姿が美しい。二重の入母屋造りの瓦屋根と板葺きの裳階(もこし)という造りになっています。The Main Hall of Horyuji Temple, where the Shaka Triad is enshrined. It is the oldest building in the Western Precincts and has a beautiful, well-balanced appearance with deep eaves. It has a double-gabled tiled roof and a shingled wooden mokoshi (a platform on which the floor is covered).
入母屋(いりもや)造りとは、切妻屋根と寄棟屋根を重ね合わせることで、両者の特徴を兼ね備えた屋根形式です。 高級感があり格式高いデザインは、伝統的な日本建築に用いられ、複雑な構造によりややコストが高いものの、耐久性と通気性に優れていると言われています。
金堂の欄干にある卍崩しと下の人字型割り束は、中国の古い寺院の様式で日本では、飛鳥建築の法隆寺でしか見られない装飾です。
The “卍” shaped design on the handrail of the main hall and the human character-shaped(人) below are in the style of old Chinese temples, and it can only be seen at Horyuji Temple, which has Asuka architecture.
法隆寺中門(ちゅうもん)。左右に金剛力士像(仁王像)が配置されています。
Middle gate of Horyuji Temple. Kongorikishi statues (Nio statues) are placed on the left and right.
仁王像は、阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像の二体一組で配置。重要文化財711年(和銅4年)作者不明 塑像(粘土) 379.9cm
The Nio statues are arranged in pairs: an Agyo statue and an Ungyo statue. Important cultural property. 711 (Wado 4th year) Artist unknown, plastic statue (clay) 379.9cm
阿形像は口を開けて「物事の始まり」を吽形像は口を閉じて「物事の終わり」を表現。711年(和銅4年)作者不明 塑像(粘土) 375.8cm
The Agyo statue has an open mouth to represent the “beginning of things,”' and the Ungyo statue has its mouth closed to represent the “end of things.”
711 (Wado 4th year) Artist unknown, plastic statue (clay) 375.8cm
東大寺などの金剛力士像は、たいてい木彫りですが、こちらは塑像(粘土)で金剛杖も紛失していて、修復もされていますが、1300年の雨風をしのいでいまだ存在しているのが奇跡的です。
中門は、柱が5本で、間口が4つ。一般的な寺院の門は、柱が4本で間口が3つなので間口は必ず「奇数」、法隆寺だけは、間口が「偶数」。この様式の理由は、はっきりとわかっていません。
中門の柱は、太いですが、梁(柱から柱へ水平に掛け渡される木)などの横架材には、太いものでなく、細いものを組み合わせて使っています。
<5.最後の宮大工~西岡常一氏>
法隆寺のような木組みによる建築技法を用いて、仏像や神体を安置する祈りの場所である神社仏閣の建築や修繕を行う特別な大工さん達を「宮大工」(みやだいく)と言います。かつては、数百人いた宮大工も現在、飛鳥時代からの正当な技術を継承している人は、なんとたったの100人ほど。
寺社特有の曲線や、金具を使わず木材を組み合わせる複雑な構造物をこしらえるための技術。これを宮大工は理解し、身につけなければならないのです。
宮大工は、「技」の継承の為には、莫大な時間がかかります。二十代で入門し、四十代で一人前、六十代でようやく棟梁(とうりょう)になるのです。
鬼と呼ばれた伝説の宮大工の棟梁として、法隆寺や薬師寺の改修を手掛けたのは、西岡常一(にしおか・つねかず)氏。
棟梁の語源ですが、棟(むね)と梁(はり)は、建物において重要な部分であることから棟梁は集団を統率する中心的な人物を指し、大工の親方を指すようになったとのこと。 棟梁(大工の長)は、最高の統率者であり、皆が、敬意を表す者でもあったのです。
実は、米国のpresident=大統領という訳語は、最初“棟梁”という漢字でした。その後、大工の頭では、良くないだろうということで、漢字を「統領」として、大をつけたそうです。
最後の宮大工と称された西岡常一氏
Mr.Last temple carpenter, Mr.Tsunekazu Nishioka
西岡常一氏は、法隆寺専属の宮大工で、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺の出身。祖父西岡常吉さん、父西岡楢光さんはともに法隆寺の宮大工棟梁でした。
飛鳥時代から受け継がれていた寺院建築の技術を後世に伝えたことで、「最後の宮大工」と称されています。法隆寺の他に、薬師寺の再建プロジェクトを宮大工の棟梁として指揮したのが西岡氏。
薬師寺は、天武天皇が妻である皇后が病気になったとき、人々を病から救う薬師如来をご本尊として建てた病気平癒の寺。戦国時代にほとんどが消失したので、創建時から残っているのは東塔のみ。
薬師寺は、その木組みをもとに1970年から再建のプロジェクトが始まり、本尊がある金堂を1976年、西塔を1981年に、ひとつひとつ再建させたのです。
その象徴が宮大工の使う道具の中でもとても大事な道具のひとつが「ヤリガンナ」です。通常私たちが見るのは、四角い形の台ガンナですが、台ガンナや手斧ではできない細かい曲線の仕上げに使うヤリガンナは、飛鳥時代以来途絶えていた道具でした。
ヤリガンナで丸いの柱の表面を削っているところ。
Scraping the surface of a round pillar with a spear shaped planer
なんと、西岡氏は、飛鳥時代以来、使われていなかったヤリガンナという道具を自らの手で復活させたのです。
材料には、驚くことに法隆寺の古釘を堺の刀鍛冶に頼んで作って現代に再現してもらったのです。“昔の釘のほうが良質な鉄でできていた”と西岡氏。
驚くべきエピソードがあります。電気ガンナで削った木を雨の中にさらしたら、一週間でカビが生えるのが、法隆寺の古釘で作ったヤリガンナは、表面が滑らかで、水をはじくというのです。
西岡氏は、木造の建築について、ことばを残しています。
宮大工の棟梁は、“木のクセを見抜いて、それを適材適所に使うこと”。
“木というのは、まっすぐたっているようで、それぞれねじれているなどのクセがある。
自然の中で生き延びていくために、土地や風向き、日当たりなどの周りの状況に応じて育った枝などがある。そのクセを見抜いて、適材適所に使うこと。個性を殺さず癖を生かす。人も木も、育て方、生かし方は同じだ“。
“Made in Japan“の真髄のような宮大工の西岡さんの魂から絞り出た言葉。
鬼と呼ばれた宮大工の棟梁が語る「言霊」(ことだま)の世界です。
<6.なぜ、千年もの間、木造建築が存在するのか>
さて、根本的な疑問として、なぜこのような長い年月の間、木造建築が存在しているのでしょうか?
その最大の要因は、木の材質にあるといいます。宮大工が古来使用している木は、必ず「ヒノキ」。杉でもクスノキでもなく「ヒノキ」なのです。
一説には、樹齢千年のヒノキを使えば、その建造物は千年もつといわれています。
驚くべきは、千三百年前の日本の宮大工がその特性を見抜いてヒノキを寺社仏閣の伽藍に使用していたことなのです。
実は、日本書紀の数々の神話とともにヒノキは、瑞宮(みずのみや=立派な建物)に使え、杉とクスノキは、船に使えと書いてあるそうです。
古来、神社の普請(ふしん=土木工事,建築工事を指す用語。元は、仏教用語で,あまねく人々に請い,共に力を合わせて労役に従事し事をなすこと)にはヒノキが多く用いられました。
それは飛鳥時代以来の宮大工が桧の耐久性、防腐防蟻性、耐水性などを理解し、清浄な白木で、油性分が多く、削り上げると美しい光沢が現れる特徴を理解していたからです。
聖徳太子が斑鳩の宮から岡本に行かれるのに鹿がついてきたという記述があります。鹿はヒノキの芽が好物なので、かつての大和(奈良)の地には沢山のヒノキが生えていたと考えられています。
ヒノキの北限は福島県、南限が台湾。台湾には樹齢二千年超えのヒノキがあり、現在の日本に樹齢の長いヒノキが皆無なので、昭和の法隆寺の修復には台湾のヒノキが使われました。
<7.法隆寺の建築方法や構造について、不思議な八角形の建物~夢殿>
歴史的には、飛鳥時代に大陸から木造の建築法が入ってきたと考えられていますが、これも日本の気候風土に合わせて造りが変えられているといいます。
中国の山西省にある八角五重の塔は、直径29メートルあるのに、軒先が2メートル。
同じ八角形の夢殿は、直径が11メートルしかないのに軒先は3メートル。
西岡氏曰く、“軒は深いほうが、柱の根本に風雨が直接あたらないので腐らない”ので、
雨の少ない大陸の気候ではなく、雨の多い日本の気候に合わせて工法を変えているのです。
夢殿の3メートルある長い軒先。軒の下には、柱と梁の結合部を強くして、重い瓦屋根を支えつつ深い軒を実現するための工夫が木組みの電話の受話器のような形の補強部材、雲斗(くもと)と雲肘木(くもひじき)。
Yumedono's 3 meter long eaves. Under the eaves, strengthen the joints between columns and beams and install heavy tiled roofs.
Kumoto and Kumohijiki are a way to create deep eaves while supporting them.
法隆寺の金堂・五重の塔・夢殿などに釘は、使っていますが、今の建築のように釘の力で木を押さえているわけではなく、木を組んでいく過程での仮留めの役目で、組み合わさってしまったら、各部材が有機的に結合されるので、釘は重要でなくなるようです。
聖徳太子の供養の為、生前の地に建てられた独特の八角形をした「夢殿」(ゆめどの) 名前の由来は、太子の夢に出てきた黄金の仏像から。
The unique octagonal “Yumedono Hall” was built for the memorial service of Prince Shotoku on the site of his place when he used to live at. The name comes from the golden Buddha statue that appeared in the prince's dreams.
法隆寺の建物のそれぞれの屋根は、端がぎゅっと上に上がって真ん中が下がっている「しん反り」で、この反りは、大陸由来で、古来の日本にはなかったもの。それまでは、伊勢神宮に代表される直線の建築でした。
後世の建築の屋根は、真ん中はまっすぐで、端だけ反り返っている「なぎなた反り」です。
飛鳥時代の建物は、力強さの中に柔らかさがあり、構造を重視。室町時代以降は、装飾性をより重視していると西岡氏は言います。
ちなみに八角形の夢殿は、四角い構造ではないので、四角の建物のように隅を結んで荷重を受けることができず、屋根がすべて扇形になり、真ん中より外側が大きくなる構造で、屋根の上に重い宝珠を設置しています。
古代中国や日本では、「八」が王権に関わる数として使われ、皇族の陵墓(天武・持統天皇陵等)、法隆寺の夢殿など王権に関わる寺院建築に使われました。
落雷、消失した京都・法勝寺の八角九重の塔は、81メートルの高さがあったと言われています。
なぜ八角形が王権を表したのか。古代中国に「天は円にして地は方(四角)なり」との思想があります。八角形は「円」と「方」を媒介する中間的な形であり、疑似的な「円」と見なされたといわれています。
夢殿と同じ八角形の造形美のT8 : ZT008SWB
飛鳥時代の宮大工は、美しい八角形の夢殿の建築に非常に骨を折ったと想像されます。飛鳥時代の機能美の塊である法隆寺。ある意味、時計とは、腕の上の現代の崇高な機能美と言えるとして、共通項があるのではないかと思います。
T8 with the same beautiful octagonal shape as Yumeddono hall : ZT008SWB
It is thought that the craftsmen of the Asuka period took great pains to construct the beautiful octagonal Yumedono hall which is functional beauty. In that sense, I think a watch is a modern, sublime piece of functional beauty on the wrist.
<8.法隆寺の五重の塔について~薬師寺・東寺との塔比較、裳階(もこし)相輪(そうりん)の役割>
法隆寺五重塔 700年頃。高さ32m,総重量が120万キロ。初重の下に裳階がつけられています。
The five-storied pagoda has a total weight of 1.2 million kilograms and is 32 meters long to the top of the sorin (decorations such as water smoke and nine copper rings). A “Mokoshi” is attached below the first story’s roof.
塔の中心には、「心柱(しんばしら)」と呼ばれる太く長い柱が1本通っており、五重の塔の上に載っている相輪(そうりん)と、地中の「心礎(しんそ)」石とを繋いでいます。
心柱は、直接は建物とつながっておらず、上方の層の落下防止と地震の際、建物と違うタイミングで揺れて衝撃を吸収する制振構造になっています。
法隆寺の五重の塔は、1300年の間、何度も地震にあっているはずですが、一度も地震で倒れていません。
実は、高さ634メートルの現代の電波塔・東京スカイツリーも五重の塔の心柱に似た375メートルの鉄筋コンクリートの長い柱を中心部に入れているのです。五重の塔と同じ、建物の揺れと違う動きで揺れる「心柱制震構造」(しんばしら・せいしんこうぞう)を取り入れて設計されました。
東京スカイツリーは、37,000パーツの鉄骨を組み上げる壮大な建築プロジェクト。
最上部の放送用アンテナが取り付けられるゲイン塔を地上で組み立て、スカイツリーの中心に空洞を作り、上に吊り上げて設置。その後に空洞の中に心柱となる鉄筋コンクリートを積み上げていくという奇想天外な工法で作られました。
東京スカイツリー建設中619メートルに達していた時に東日本大震災が起きたのですが、建設途中の心柱のおかげか倒壊を免れたという逸話があります。その時、なんとタワーは、横に5メートルも揺れたそうです。
法隆寺の塔は、力強く堂々としてバランスが良いといわれます。五重塔の高さは、32.45メートル、一辺の長さが6.41メートル。最上階の五十の一辺の長さが初重の一辺の長さのちょうど半分になるように計算されて造られています。こうしたことが見た目の安定感につながると西岡氏は述べています。
裳階とは、屋根の下にもう一つつけられた簡素な屋根。元来風雨から構造物を守る目的で作られましたが、建物を実際より多層に見せる効果があり、寺院建築に好んで用いられました。
薬師寺の東塔。730年頃 高さ33.6メートルで平城京最古の建物。裳腰が各層の屋根の下につけられているので、実際は、三重の塔だが、五重塔に見えます。2009年から約10年かけて西岡氏の教えを受けた石井浩司氏を中心にして再建されました。
10,000点に及ぶ木組みの部材をすべて解体した大プロジェクトでした。
The East Pagoda of Yakushiji Temple. It is the oldest building in Heijo-kyo. The “Mokoshi” are attached under the roof of each floor.
It is actually a three-story pagoda, but looks like a five-story pagoda. It was rebuilt over a period of about 10 years from 2009, led by Mr.Koji Ishii, who learned under Mr.Nishioka.
It was a major project that involved dismantling all 10,000 wooden components.
本物の屋根と装飾的な裳階(もこし)の異なる大きさの屋根の独自の織り合わせは、アメリカ人美術史家であり、東京帝国大学の教授でもあったフェノロサがそのリズミカルな屋根と裳階のデザインを「凍れる音楽=frozen music」と表現したそうです。
薬師寺の東西の塔を比較すると再建の西塔の方が現存の東塔より約30センチメートル高く、基壇の高さの差を加えて、西塔は東塔よりも約1.1メートル高くなっています。屋根の勾配もゆるやか。
東西両塔の大きさ、形状の違いは木材の乾燥収縮を、基壇の高さの違いは地盤沈下を考慮して建てられました。
西岡棟梁によると500年後には東西両塔が同じ高さになり、1000年後には屋根が設計どおりの形状になるのだそうです。
東寺(教王護国寺)の五重塔は、高さ54.8メートル 9.5メートル。
京都のランドマーク的な存在。木造の建築としては、日本一高い塔。1644年に再建
The five-story pagoda of Kyoto's landmark Toji Temple is 54.8 meters by 9.5 meters tall. It is the tallest wooden structure in Japan.
東寺の五重塔は、その高さゆえに、落雷などによって4度焼失しましたが、その度に五重塔を再建。いまの五重塔は、1644年江戸時代に徳川家光により再建された5代目。
建造物は、重いので、その荷重をいかに分散して、太い柱で支えるかが構造の肝。
それぞれの部分がしっかりと役目を果たす機能美。
中心に据えられた3本を継いだ太い心柱と各層が地震の際には、別々に揺れて衝撃を吸収する制震構造になっています。
13世紀以降の五重の塔は、屋根の内部に「ハネ木」と言われる太い柱を通しているので、屋根の構造自体がより強固になり、軒先までの長さもより長く、屋根自体もより大きく作ることが可能になっており、飛鳥・奈良時代の五重の塔とは、全体のデザイン・バランスの印象が違ってきています。
現存する五重の塔は、飛鳥・奈良時代のものは少ないので、こうした後世の五重の塔のほうがより目にしている関係から一般的には、馴染のあるデザインですね。
<ゼロ編集後記>
日光東照宮のような華絢爛な装飾美とは違い、法隆寺は、飛鳥時代の機能美の結晶だと思いました。
世界最古の木造建築と聞いて、奇跡の偶然なのか、たまたま空襲がなかっただけなのかと色々想像はしていました。
しかし、法隆寺は、飛鳥時代の宮大工が、次の千年を見据えて、地盤が固い丘陵の尾根の上に、樹齢1000年のヒノキで巧の技で建てた壮大な建物でした。
また、それを現代に伝える宮大工が飛鳥時代の宮大工の技を建築から学んで、修復しながら守ってきたからこそ、“必然的に現存する”のです。
取材を進める中で、東京スカイツリーが法隆寺などの五重塔の心柱の構造を取り入れて造られたと知って、驚きました。地震の多い日本で、永い間、倒壊をまぬがれてきた建物から学んだ日本人ならではの発想。宮大工の技が現代の最新の建築に生かされているのです。
現存する世界最古の木造建築。飛鳥の宮大工から昭和の宮大工まで繋いだ匠の技。
それが現代建築に取り入れられて生きている。なんて素晴らしい事ではないでしょうか。
これぞ、Made in Japanだと思ったゼロ編集部でした。
聖徳総本山法隆寺
〒636-0116
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
拝観時間. 午前8時~午後5時; 2/22~11/3. 午前8時~午後4時半; 11/4~2/21. ※受付は拝観時間終了30分前 ※閉館時間が近づくと入れない施設がございます。
休館日/年中無休
TEL:0745-75-2555
www.horyuji.or.jp
アクセス JR大阪駅より大和路快速 法隆寺駅 迄 約40分
法隆寺駅より徒歩約15分/バス約8分
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阪急メンズ大阪 THE TIME HOUSE
〒530-0017
大阪府大阪市北区角田町7番10号阪急メンズ大阪B1F
TEL:06-6361-1381 (大代表)
営業時間:平日11:00-20:00 / 土日祝 10:00-20:00
定休日:不定休
HP:https://www.gressive.jp/shop/R0516