Made in Japanの心に触れる旅 その8 日本の時計の起源に触れる~近江神宮(おうみじんぐう・滋賀県/大津市)漏刻(ろうこく)時計 

<漏刻時計とは>

 近江神宮にある漏刻時計(ろうこくとけい)のレプリカ。四段の水槽に水が流れる時間によって時を知らせる仕組み。最下段の水槽にある矢の形の目盛りを読む。

近江神宮にある漏刻時計(ろうこくとけい)のレプリカとT7

天智天皇の古都・近江大津宮の跡地に創立された神社の近江神宮。朱塗りの楼門(ろうもん:二階建てで上部に屋根がある山門)が美しい。

自然豊かな境内や鮮やかな朱色の楼門、荘厳な造りの社殿などで知られる近江神宮。

近江京(近江大津宮)は、飛鳥時代(大和時代)の天智天皇(中大兄皇子)が、大化の改新により、大和(飛鳥/現在の奈良県高市郡・明日香村)から近江(現在の滋賀県大津市)に遷都した都。

遷都の理由は、百済と連携して、唐・新羅との連合軍と戦った白村江(はくそんこう)の戦いに敗戦した後、大陸からの侵攻に備え、飛鳥よりも北に位置し、琵琶湖という天然の要害と、陸上・湖上の交通網(東山道・北陸道)を押さえる大津が防衛に最適という地理的な要因です。

加えて、大化の改新を推し進めた天智天皇が、蘇我氏ら豪族の旧勢力の残る飛鳥から離れ、新しい政治体系を確立するためという政治的な要因もありました。

余談ですが、白村江の戦いに敗れた天智天皇が太宰府に日本の防衛の為に664年に作らせた水城(みずき)が日本の城の起源と言われています。水城は、高さ9メートルの土塁と水堀を備えていました。

城の起源と時計の起源が同じ天智天皇の時代というのは、興味深いですね。

楼門をくぐると見える外拝殿。(内拝殿(本殿)は撮影禁止)

<天智天皇の漏刻時計>

日本の時刻制度は、671年に、天智天皇が、大津に漏刻時計(ろうこくとけい=水時計)を設置されたことが起源です。天智天皇は、漏刻を作り、大津宮の新台に置いて、漏刻の管理・運用を専門とする“漏刻博士”と呼ばれる官吏が時刻の判定や、機器が正常に動いているかの点検を行い、鐘鼓を打って時報を開始しました。

天智天皇が時計を設置したのは、新しい中央集権体制の国家の運営には、“正確な時間”を知らせる事が必要だったからです。また、正確な時間を管理することが、権威の象徴でもあったようです。

日本初の時計が“水時計”なのは、四方を海に囲まれ、自然の水の恵みで、井戸の地下水や水田を作って来た農耕民族らしいなと思います。

日本(倭)の民が水への感謝や畏敬の念から生まれた水への自然崇拝は、水を司る「水神」または、龍の「龍神」として、水や雨に宿ると信じられてきました。

<日時計と水(漏刻)時計>

人類最古の時計は日時計です。日時計の起源は紀元前の古代エジプトにさかのぼり、オベリスク(太陽の光で影を作る巨大な尖塔)や棒の影を利用したのが最初とされています。

エジプト人はこの影を使い1日を24分割して時間を管理していました。エジプト神話の最高神である太陽神ラーは、ハヤブサの頭を持つ姿で描かれ、万物の創造者かつ日中の空を太陽の船で移動する太陽そのものとして信仰されました。

古代エジプトの王(ファラオ)は、ラーの息子とされていますので、時の起源と太陽神への信仰は、密接なものだったと思われます。  

 日時計(レプリカ:近江神宮)グノモン(Gnomon)式 グノモンは、日時計において影を落とすために設置された垂直、または傾斜した棒や板のこと“グノモン”と呼びます。グノモンは、古代ギリシア語で「指し示す者」を意味します。北半球では地軸と平行(北極星の方向)に傾斜させ、その影の向きで時刻を測定します。

矢橋式日時計(やばししきひどけい):近江神宮 岐阜天文台の矢橋徳太郎氏考案による矢橋式日時計。時刻目盛りが等間隔なのが特徴で、それに合うように台座が傾いて設置されています。

clock(クロック=時計)の語源は、中世ラテン語で「鐘」を意味するclocca(クロッカ)という言葉に象徴されるように、ヨーロッパの時計文化は、教会で祈りの時間を知るための鐘から発展しました。

14世紀頃、教会や塔に取り付けられた、鐘の音で時を告げる機械式時計を指す言葉として使われ始めた「クロック」は、元々は時計そのものよりも「時報の音」を指す言葉で、「カチッ」というような擬音から派生した言葉と言われています。

トゥールビヨンと並ぶ、世界三大複雑機構の筆頭の「ミニッツ・リピーター」は、
音で時刻を知らせる時計ですが、内部に小さなハンマーとリング状のゴング(鐘)があることから、教会の鐘の音を懐中時計や腕時計に封じ込めた発明だと思います。

ヨーロッパでは、街や村に必ず、教会があり、教会の鐘の音を聞きながら、朝、目覚めのコーヒーを飲んだり、石畳の街を散歩したりする風景がよく見られます。

「同じ鐘を聴く」体験が、時刻を知らせることを超えて、コミュニティの繋がりを感じ、村人に同じ祈りの時を共有するとい意味合いを持っているのです。

時計の起源も国によって、文化の違いが現れていることは、非常に興味深いですね。

漏刻時計のレプリカ 1964(昭和39)年 日本・スイス修好百周年を記念して、スイスの時計ブランドのオメガ社の日本総代理店より奉納。

近江神宮は天智天皇を祀っているため、近江神宮境内には、漏刻時計のレプリカに加えて、時計博物館(撮影禁止)があり近江神宮の境内にあります。

近江神宮の境内にある時計館/宝物館の建物。(内部は撮影禁止)

漏刻:漏刻時計は水の流れ方が一定であることを利用した時計です。

四段の水槽の上段から順々に水が落ちていき、最下段の水槽に水が入ると、その水の量が増すのに従い、浮かべてある矢が浮き上がり、矢に付けた目盛を読むことにより時刻を知る仕組みとなっています。

水槽を四段にすることにより、水槽の中の水量によって水圧が変わり流量も変わるのを防ぐ目的があったようです。

6月10日の「時の記念日」は、天智天皇が日本最初の時計である漏刻時計を設置した日を現代の暦に照らし合わせ、それを記念して制定。文字通り、時を超えて最初の時計の誕生を祝っています。近江神宮では、毎年6月10日に「漏刻祭」と呼ばれるお祭りが行われます。
 
<日時計と現代の時計のかかわり>

先の日時計は、太陽の日周運動を利用し、棒が太陽光を受けて落とす影の移動により、その場所の時刻を計測する仕組みです。

地球の自転により太陽が1時間に約15度動くことに伴い、影も同じように移動する原理を利用しています。

現在の時計が右回り(時計回り)なのは、北半球では、太陽が南側の空を通る為、日時計の影が右回りになることからそうなりました。(南半球では、太陽が北側の空を通る為、日時計の影は、左回り(反時計回り)となります。

もし南半球で最初に時計が発明されていたら、時計の針は、現在と逆の左回り(反時計回り)になった可能性があると言われています。

ちなみに、英語の表現でも右回りのことを「時計回り」clockwise、反時計回りのことをanti-clockwise (アメリカ英語では、counterclockwise)という表現があります。
anti-clockwiseは、時計関連では、ネジを緩める方向という時によく使われます。
        
なんと、現代の時計が「時計回り」に動くのは、日時計の影の動きを継承したものだったのです。

余談ですが、陸上競技のトラックの回り方は、反時計周りですが、世界的には、右利きの人が多く、左足が軸足となるため、左回りのカーブで踏ん張りが効きやすいからという説。

また、心臓が左側にあるため、左側を内側にして曲がることで心臓への負担を軽減できるという説などがあります。

<日時計ではない、「火時計>とは?>

古代火時計(Fire Clock)1979(昭和54)年6月10日(時の記念日)にスイス・ジュネーヴのロレックス社から奉納。

火時計は、約4000年前、中国にて夜の時間を計るものとして使われました。

龍の背に等間隔に計14個の銅球が吊り下げられており、糸の下を燃え進む線香の火が糸を焼き切り、球が落下し、下に設けられた銅鑼(ドラ)が鳴って時を告げるしくみの時計。
1間隔がおよそ2時間を示すようになっています。

<番外編 近江神宮とかるた>

近江神宮は、百人一首かるたの祖(一首目)と言われる天智天皇をお祀りしていることから、「かるたの殿堂」と呼ばれることもあります。

天智天皇が詠んだ「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」という歌が百人一首の第一番として選出されています。その縁から近江神宮は「かるたの殿堂」と言われています。

毎年1月になると、競技かるたの「名人位・クイーン位決定戦」が近江神宮で行われており、選手や愛好家たちにとっては憧れの場所です。
 

百人一首を題材とした広瀬すずさん主演の映画「ちはやふる」は、この百人一首のクイーン戦を題材にした映画で、その舞台に近江神宮が選ばれています。聖地巡礼という目的のもと、「ちはやふる」の映画ファンや原作の漫画ファンも多く、参拝客として訪れています。 

<ときしめす守>
 

近江神宮は天智天皇を祀る神社で、お守りの一つ「ときしめす守」は「進むべき時を示し、進むべき道を説き示す」と、決断力と前進へのサポートを願うもの説明書きに書いてありました。これはチャンスを掴むための決断と、その後の道を開くための守護符として人気があるそうです。

天智天皇は、大化の改新や近江大津宮への遷都など、大きな決断をしたことで知られています。彼に倣い、チャンスを掴むための決断と、その後の道を説き示す守護符として、開運、決断力、前進へのサポートを願う人が多いとか。

大化の改新は、政治クーデターではなく、蘇我氏を倒した中大兄皇子(天智天皇)が唐の律令制を取り入れ、豪族による土地・人民の私有を廃止し、国家主導の土地・税制(班田収授・租庸調)へ転換し、「天皇中心の中央集権国家」を確立した政治改革でした。

実は、歴史学者によると、大化の改新は、単なる豪族と貴族の権力闘争ではなく、
当時、強大になっていた隣国の「唐」の脅威に対抗するために行われたと言われています。

ある意味、大国列強に飲み込まれないように日本を強くして一つにしようとした「明治維新」と背景が似ているかもしれません。

編集後記

漏刻(水時計)が日本で最初の時計として採用されたのは、農耕文化に根差した日本では、水に対する尊敬や畏怖の気持ちがあったからではないかと思います。

エジプトの民が太陽に対する畏怖や信仰心があったのと同様、日本では、水への感謝や畏敬の念から生まれた水への自然崇拝は、水を司る「水神」、龍の「龍神」信仰がありました。

漏刻時計が設置された当時の政治的背景を鑑みると地方政治から中央集権国家の構築をするのに、正確な時間を知ることが必要でした。

日時計は、曇って太陽が隠れると作動しない様に、水時計は、水の中に不純物が溜まって給水口が詰まってしまったり、冬場は凍結したりすると正確な時間がわからなかったりと苦労があったようです。

長年時計の仕事に従事しておりますが、近江神宮にまさか、漏刻のレプリカが非公開の所蔵物ではなく、見える形で存在しているのは、驚きでした。

「火時計」に関しては、スイスのラ・ショード・フォンの時計博物館を訪問した際に、「火時計」のミニチュアが展示してあるのを、見たことがあります。フランス語の通訳ガイドさんから教えていただき、とても面白い仕組みが印象深かったのを覚えています。

火時計のミニチュア(スイス/ラ・ショー・ド・フォン時計博物館):オリジナルは、日本の近江神宮にあり、長さ3M、高さ2Mあり、ロレックス社が奉納とキャプションにも明記してあります。

スイスの博物館に、近江神宮に展示してある火時計の縮小版と書いてあったのがフラッシュバックのように蘇り、懐かしい思い出とともに感慨深いものでした。

photo gallery 2026.6.10 漏刻祭

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